「響鬼」を語る

さて、昨日で最終回を迎えた「仮面ライダー響鬼」。様々な所でその総合的な評価が語られているようで、自分も思った事をつらづらと書き散らしていこうと思う。
第一話から、すでに自分は違和感を感じていた。それが何だったかと言うと、「これって仮面ライダーじゃないやん」という事だ。その点に関してはこちらを見ていただけると分かっていただけると思う。そのテーマや番組の展開など、どれも今までの仮面ライダーのテーマとは真逆と言っていいほどのものだった。バイクに乗らないとかライダーキックしないとか、そういう違いだけじゃない。
そしてこれらがマイナス面になっている理由は、もちろん作品が「仮面ライダー」の名を冠しているからこそである。最初から仮面ライダーとは関係ない作品にしていたらと何度思った事だろう。大体6話くらいから、違和感があまりにも酷くなって番組を切ろうと思ってた頃、「この番組に仮面ライダーを期待しているから駄目なんだ。あくまで『響鬼』として見れば面白いかも」と思い、気持ちを改めて視聴したら、やはり前と比べて楽しめるようになっていた(それでも夏ぐらいになると、あまりのマンネリ気味に視聴を一時やめてしまったが、あれはきっと別な問題だったんだろうと思う)。
この「仮面ライダーじゃない『鬼』」という方向性は、たとえプロデューサーが変わっても変更できない路線であった。って言うか29話時点ではとても変えられるものじゃない。
だからこそ、「仮面ライダー」を期待したであろう多くの人々(特に対象年齢である子供達)は幻滅させられたのかもしれない。そこも、玩具の売り上げが伸びなかった原因の一つなのかもしれない。
こう言っちゃ失礼かもしれないが、響鬼に第一話からのめり込んで、一瞬でファンになった人達は(信者とかアンチとかいう言葉は使いたくない)、あくまでマイノリティだと思う。少なくともターゲット層である子供達にそういう人がいたのかすら疑問だ。しかし、逆に思えば「かれらはこの作品の何に魅力を見出したのか?」という話にも発展する。
響鬼の、それも前半の高寺版響鬼の魅力が何だったのかと問われると、それはやはり「日常」であろう。
今までの仮面ライダーに欠けていたものこそが「日常」であり、それがとても斬新に思えたのかもしれない。殺伐とした平成ライダーの世界に颯爽と現れた救世主、それが癒し系特撮ヒーロー「響鬼」だったのかもしれない。
(はっきりしない言い方なのは、あくまでもこれは直感的な感想という事で。まともに見た平成ライダーは剣と響鬼だけなんだし)
響鬼に魅入られた人達は、その日常、そしてその日常の中にいる登場人物達の生活を視るのが楽しみで、だからこそ仮面ライダーっぽくない「異形」というテーマの欠落や、ライダーキック、バイクといったライダー要素の欠落も問題視していなかった。彼らこそ、最初から仮面ライダー響鬼を「仮面ライダー」としてではなく「響鬼」という独自の作品として見ていた勝ち組だったのだ。
上のリンクの人も言っていたが、クウガ仮面ライダーとして作られたのが残念だったという意見があるが、これはもちろん響鬼にも言える事である。高寺氏は、今後ライダーの仕事が来る事は多分ないかもしれないが、その方がいいかもしれない。むしろ、もっと独自の色を出せる作品を作る環境に立ってもらいたい。その方が氏の本領が発揮できると言える。
まぁ、もし白倉・井上スタッフで響鬼を最初から作ってたら、轟鬼初戦闘の後に斬鬼がたちばなを襲撃し、壊滅させて、
轟鬼斬鬼さん! オンドゥルルラギッタンディスカー!!」
みたいな展開になってたかもね( ;´Д`)
そんなつまらないネタで閉めとさせていただこう。