銃規制について

日本だと圧倒的に銃規制支持派が大多数だし、アメリカにも規制を訴えてる人は多い。
が、規制に反対してる人たちにだってそれなりに考えを持っている。
俺は別に規制しようがしまいが構わないというスタンスだけど、せめて反対意見くらいみんなに見てもらいたいという事で、とある英語サイトで見つけた記事を紹介したいと思う。今後また似た主旨の記事を見つけたらまた紹介するかも。

銃の所持について
チャーリー・リース著
偉大なるトーマス・ジェファーソンは、現代の政治家達による一般市民の武装解除の試みに対して完璧な答えを出している。
武装を禁止する法律…それも罪を犯す事などないような人間の武装を禁止する法律は、暴行者を有利に、被害者を不利にするだけで、殺人を阻止するのではなくむしろ助長してしまう。無防備な人間は武装した人間よりも攻撃されやすいからだ」
これは彼の著書「備忘録」に書かれているもので、日付は1774年から1776年の間となっている。
この理屈に反論できる者がいようか?犯罪者は文字通り法を破る者であり銃規制法を守るなんて事はない。あなたを殺した犯人が、銃所持法違反で罪が重くされたとしても、あなたにとっては何の意味もない。それで棺桶から出してもらえる訳ではないのだから。
今の時代においても、警察は99%の割合で、犯罪が実行された後にようやく犯行現場に到着する。自分が犯罪の犠牲者になると自覚した瞬間から、その場所に警察が到着するまでの間(実際に来ればの話だが)、あなたは一人で乗り切らなければならない。自己防衛はもはや理論ではなくなり、逃走も選択肢の内に入る事は少ない。あなたに与えられた選択は、犯人があなたにしようとしている事を受け入れるか、戦うかだけだ。
銃を持っているからといって銃撃戦に勝利するとは限らないが、少なくとも勝利する可能性は補償される。もし犯人が武装しているのにあなたは武装していなければ、勝てる可能性など微塵もない。体格のいい若者なら対処できると考えているかもしれないが、そんな彼らにテコンドーの達人でもある、とある韓国の諜報員の言葉を送ろう:「命の危機に直面したら、銃を使え」。
どんな格闘家でも、間合いという物の重要性を理解している。腕が伸ばせる距離より遠くにいる相手を殴る事はできないし、脚の長さより遠くにいる相手を蹴る事もできない。しかし、相手が銃を持っていたら15メートル離れた距離からでも撃たれてしまう。ジャッキー・チェンチャック・ノリスとは違い、あなたには戦いの結末を決めてくれる脚本家はいない。
私は皆に銃を買いに行けと訴えている訳ではない。自己防衛のための重火器の所有は、非常に慎重にならねばならない事だ。銃は無機物で、もし弾が込められていて、撃鉄が引かれ、そして引き金が引かれたら、撃針が雷管に衝突した瞬間に、その銃口の先にいる人間は死ぬ事になる。その時、その人間は死ぬべきだったと認識できる覚悟が必要だ。一度人を殺してしまったら、もうやり直しはきかず、一生その業を背負っていかなければならないからだ。そして絶対に銃を子供(あなたのだけではなく、ご近所の子供も)の手の届く場所に置いてはいけない。
司法に正義を期待する事ができないこの時代。私が若い予備保安官だった頃、年配の保安官からこのような言葉を授かった。
「少年、もしそれをいつか使わないといけなくなった時は、裁判官に相手側が主張できないようにするんだ」単刀直入に言うと、誰かを撃たねばならなくなったら、その相手を殺せ、と。でなければ、この狂った時代、主導的にあなたの命を狙ったプロの犯罪者や、自己防衛を否定するような検事が後からあなたを起訴してしまうかもしれない。
この一千年、人類はそれほど変わってはいない。今も人は善人と悪人、優しい人と残忍な人に分かれており、自己防衛しうる力のない人を狙う悪人が存在している。自己防衛についてはここで語り切れるほどの余裕はないので、1800年代のとあるお話で閉めとしておく。
テキサスに向かう若者が、アーカンソーの店主に銃を持った方がいいかどうか尋ねたところ、店主はこう答えた:「必要かもしれないし、必要ないかもしれない。しかし、もし必要になったら、その瞬間に必要になるだろうよ」
http://www.lewrockwell.com/reese/reese289.html